2026年8月18日

期せずして今年のお盆の墓参りは敗戦の日と重なりました。

数年前に、次のような短歌を詠みやましん歌壇に掲載されたことを思い出します。
画像を添えて添付のような写真短歌作品に仕立てています。
♬ 敗戦を三四半世紀終戦と言い風化する八月十五日(布宮雅昭選)

翌日の地方紙(山形新聞)の紙面に” 近づく足音 不安な若者 戦後81年「終戦
の日」つながり、言葉を紡ぐ ”の見出しで、かつ、今の世相を平易に、端的に
表現した記述を見つけたので紹介したい(以下に転記)。
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戦後81年の「終戦の日」を迎えた。大国による「力の支配」が広がり、
高市政権は防衛力増強へと突き進む。社会から戦争の記憶が薄れ、体験者の
平和への切実な願いは、宙をさまよう。全国戦没者追悼式の首相式辞からは
「反戦」と「不戦」が消えた。先の大戦とは何だったのかー。為政者さえも
語らぬ中、世界から戦争の足音が聞こえるかのような気配に不安を抱く若者は、
つながり、言葉を紡いでいる。
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翌々日の朝日新聞デジタル(夕刊)の「素粒子」に次のような内容の記載が
載っていましたので併せて紹介します。

31年前の「反省なんかしておりません」発言を反省なんかしていない高市氏。
やはり追悼の式辞に反省の文字なし。反省の表明を二度と繰り返させたくないらしい。

4年前には「途中で参拝をやめたり、中途半端なことをするから相手がつけあがる」と。
参拝を見送る代わりに遥拝(ようはい)をするのは「中途半端なこと」ではないらしい。

侵略を反省しない国が法の支配を説いても、お前が言うなと言われるばかり。
非核三原則見直し示唆の次は閣僚の参拝。自ら他国に批判の材料を与える脇の甘い国。