黒沼貞志さんを素描してみる
川村 志厚(経営デザイン研究所 代表)
ふつう、「発刊に寄せて」に寄稿する場合は、著者と本の内容を讃えるコメントとするのが礼儀ですが、黒沼さんから事前のご了解を得て、良いも悪いも率直に書かせていただくことになった次第です。黒沼ファンにはお叱りを受けるかもしれません。ご了承ください。
この本のタイトル「続 私的アンソロジー しあわせの構図」、うーん、絶妙の表現です。
前後を「続 私的、構図」と漢字で固めにしておいて、中に「アンソロジー、しあわせの」とカタカナ英語とひらがな和語で柔らかさを挟んじゃっています。上質のおいしい当世風どら焼きの感じがします。これって、あれこれ考えた結果なのか、すいすい感覚的に出てきたのかわかりませんが、たぶん後者でしょうね。感性的才能が光っていますから。
「黒沼ワールド」に最初に出くわしてから17年ちょっと過ぎました。山形にUターンされて程ないころだったと記憶しています。当時は、バブル崩壊後10年で、産学官民いずれも先行きの不透明さに不安を抱えていました。政府の経済対策の一環として創業支援が始まり、NPO的な草の根活動が少しずつ注目されるようになったのが90年代半ばです。
「ちょっと変わった受講生がいるよ」と同僚講師の話があり、どんなふうに変わっているのか確認したら、「どうも普通の意味での創業ではないようだ。自分では対応できないので、先生にお願いします」という。中小企業大学校仙台校の創業支援講座の受講生として出席していたのが当の黒沼さんでした。経歴を見ると日揮のエンジニア出身。聞いてみると、「これまで培ってきたプロジェクトマネジメントの経験を生かして、地域社会のお役に立てるような事業を始めたいが、どのようなやり方があるのか」という趣旨でした。経験が豊富なためか、話がいろいろと枝分かれして、本筋を追うのに当初ちょっと苦労しました。しかし、黒沼さんの本意がどこにあるかはすぐに理解できました。私の方にも考え方に賛同できる条件があったからです。
仙台校の創業講座が始まったのは97年ですが、宮城大学事業構想学部でベンチャー経営論や起業論の講師をしていた関係で、準備段階から参加して主任講師的立場にありました。さらに、アメリカのシリコンバレーをモデルとする地域の経済と社会の相乗的活性化活動を展開していたほか、日本の初期のNPO中間組織の一つであるせんだい・みやぎNPOセンターの設立にも関わっていました。ちなみにNPO法が施行されたのが98年12月です。
そんなこんなで、それからというもの、いやおうなく黒沼ワールドに引き込まれてしまうことになりました。その後のすさまじい活躍ぶりは「続 私的アンソロジー」に詳しく述べられていますから、私がコメントする必要はないでしょう。仙台在住ということもあって、CB推進コンソーシアムや地域力共創推進コンソーシアムでたまさかお手伝いできた程度に過ぎません。比較的定期的に話を交わしていたのは、お互いNPOプロネットの会員としてではないかと思います。もともとは、山形県内の大学研究者、弁護士、会計士、税理士、司法書士、鑑定士等が会員の企業法務研究会として98年に始まったものであり、県外からは私だけが参加していました。2001年にNPO法人となりましたが、黒沼さんをその前後に会員としてお誘いしたのです。企業法務問題の法律論について理解されたかどうかは少々疑問ですが、NPO活動が増えるにつれ、例の黒沼ワールドの力を当てにして、監事をお願いすることになりました。黒沼さんの発言が始まると、会員諸氏の表情が一瞬に変わることがよくありました。というのも、会員諸氏は、それぞれの分野の法律専門家として、論理的かつ簡潔に考え方を述べることが慣わしとなっているからです。黒沼さんの話は、ともすると主題を取り巻く周辺環境から始まるので、いったい何を言おうとしているかすぐには分からなかったのだと思います。
なぜこのようなエピソードを紹介したかというと、黒沼さんの本領は人文学的領域にあるのではないかと思うからです。経歴上は、工学部出身のエンジニアとして日揮で業績を上げられた方ですから、バリバリの理系人間といえますが、本当は芸術・文学などの文系に進みたかったのではないかと憶測しているからです。あるいは結果としての文理融合になったともいえるでしょう。理系人間としては、徹底した記録魔であることが今回のアンソロジーにも表れています。しかし、写真と短歌以外の記録の羅列は、あまりにも完璧すぎて、関係者以外の読者は疲れてしまうような感じがします。「私的」アンソロジーとしてはそれでも良いとは思いますが、工夫の余地があるかもしれません。写真と短歌からうかがわれる黒沼さんの感性は、まさに文学青年(?)そのものであり、これからさらに磨きがかかることを確信しています。端的にいうと、黒沼さんの思考回路と表現は文理融合的文学系の典型であるとすれば、吉本隆明への傾倒も、NPOなどの社会活動への取組みも、写真と短歌への情熱にしても、すんなりと理解できる気がします。
ネクストステージとして、「表現の杜【遊縁】」で、写真・絵・イラスト、短歌、俳句、詩・回文のプラットフォームを目指しているのは、必然的な生き方なのかもしれませんね。そして、表現外の真意、言外の言をおのずと知らしめるような表現を求めているのでしょうか。写真に限らず、短歌等も対象の見えない真実、いのちを写し、表現するものです。大いに賛同するところですが、黒沼さんへの要望を付け加えれば、読み手なり・聴き手なりを常に意識してほしいということです。例えば、学生期、家住期、林住期などの言葉について、黒沼さんはどのように意味づけているのかなどです。人間のコミュニケーションは不完全でしかないということです。
最後の最後に、 黒沼さんは、ほんとにいい人、敬愛してやまない人です!!!
(記 平成29年6月14日)