7月20日、21日、24日のコラム掲載に関連するような記事を、8月4日付け地方紙(山形新聞)の古今東西に<「現代日本人の資質」― 未知に対応できない不安 ―>として作家佐藤賢一氏が書いていた。
これまでの小職の未熟な考えとは比べるまでもなく、読みながら自身が言い切れない部分を鋭い視点で指摘しており、さすが・・・と胸の痞えが取れるようで気持ちが良くなる。まだ読んだことのない氏の著作を読んでみたくなった。
参考に一部抜粋する(詳しくは新聞記事を参照されたい)。
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・・・前略・・・
どうして未然に対処できないのかと、そこは問わずにはいられないのだ。
いざ問えば、こう答えるのだろうなと思う台詞も、最近はよく耳にする。
「想定外だった」
いうまでもなく、3・11の東日本大地震、ならびに原発事故に関連して、対応の拙さを指摘されるたび、政府が、自治体が、あるいは電力会社が、ひとつ覚えに繰り返す台詞である。
・・・中略・・・
一事が万事ではないかと勘繰れば、実際、次から次と聞こえてくる。放射性物質に汚染された宮城県の藁が、山形県が誇るブランド牛に与えられていた。
これも想定外なのか。全頭検査をするしかないが、その用意が間に合わない。これも想定外だからか。いや、岩手、宮城、福島の被災地なら、そこまで気が回らなくて仕方がないのかもしれないが、山形の場合は比較的余裕があったはずなのだ。にもかかわらず、やはり想定外なのか。
3・11の全般にいたるまでも、もう推して知るべしである。はっきりいって、はじめから何の想定もしていないのだろう。決められた仕事は、きちんとやる。が、それで行政は終わりなのだ。決められた以上のことには頭が回らない。想定しないというより、想定できない。御役人のみならず、今や日本人の大半がそうなっているのかもしれないと、・・・
・・・中略・・・
今の日本人はペーパーテストに育てられるようなものだ。テストであるからには、全ての問題に回答がある。あらかじめ決められている答えに、いかに上手に辿りつくか。それを間違わずに、いかに正確に再現できるか。かかる技能に秀でた者ばかりが評価されれば、至上の価値は確立した過去に置かざるをえない。官僚を考えれば、そのことがよくわかる。
高校受験、大学受験、就職試験にいたるまで、赤本に代表される「過去問」に励み続け、晴れて採用されてからも、頼みは「前例」や「前年実績」なのだ。
繰り返せば、その能力の高さには、素直に感心させられる。が、それは答が決まっていない未知の領域、どうなるか分からない先の展開、誰も解決したことがない難問等々に向けられるや、まったく通用しなくなる能力でもある。あとは想定外という言葉で誤魔化すしかないという体たらくをみるにつけ、日本人の未来に不安を覚えないではいられない昨今である。
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