2011年7月24日

昨日の地方紙の夕刊のコラムの中で、牛肉汚染に関して論説委員が<「稲わらが危ない」と早く誰か気付いていたらと思うが、いまさら言っても仕方の無いことなのだろう>と書いていた。
地方紙と言えども論説委員がこのような認識では参ってしまう。

私たちは周りに溢れる表だけではなく裏(最近はこちらの方に真実がある場合が散見される)の情報を、選別し分析評価する眼を持つことを求められているのかもしれない。
さらに、同じ地方紙の今朝の紙面において、震災から浮かび上がる次の二つのキーワードが浮かんだ。

一つは「怠慢」:
「時を語る」に佐伯啓思氏が寄稿していて、”今回の震災(特に原発)がこれまでの私たちの怠慢を明るみに出した”という様な表現をしていた。
為政者や行政が繰り返す「震災、特に原発に関しては、すべての情報を開示してしまうことによってパニックを誘発してしまう可能性がある」は為政者や行政の怠慢を見えなくするための「印籠」のような気がしてならない。
ここはやはり、パニックが起こらないような手立てをした上で情報開示をするのが本筋と言える。

二つ目は「隠蔽」:
それは、同じ地方紙のトップで米公文書が”「第五福竜丸事件」後、反核封じ込めへ米政権「原子力協力で懐柔」”と明らかにしたとの記事があった。
日本の為政者の隠蔽体質が米国の公文書公開で明かされたという為政者の変わらぬ体質である。
これは、「都合の悪い情報は出したがらない」という地方行政の怠慢にもつながるものと感じる。

また、昨日の新聞紙上の週刊誌の広告の中に原発災害で「日本は政官業メディアが”四位一体”になった」という風なキャッチを見つけた。
特に原発災害報道におけるメディアのあり様を見るにつけ、「なるほど!その通りかもしれない」と思った。