2012年2月24日

今メディアに露出している大阪市、大阪府に関わる橋下大阪市長が率いる大阪維新の会が打出している「教育基本条例案」「職員基本条例案」が府議会で論議されている。
その内容に言及するには内容に不案内なので別の観点からの指摘をしたい。

教育のことで言えば、養老猛司の本から一部紹介する。

・・・「手抜きの弊害が最も見られるのが教育です。人間がどうしてもせざるを得ないことの一つが教育です。だから教育基本法をいじろうとか、会議で何かしようとするのでしょう。しかし、国がかりで大勢集まって議論するよりも、自分が子供の面倒をどれだけ見るかのほうが、よほど大切です。常々<問題なのは少子化ではなく少親化でしょう>と言ってます。子供が減ったのでなく、親になりたい人が減ってしまっただけのことです。要は手間をかけたがらない人が増えたということです。
生き物の面倒をみることが典型です。子供の教育が駄目になった根本はそこです。」
・・・

ところで、何故首相や地方の首長に就任した直後に手掛けたがる(いじりたがる)テーマに教育があるのか?という問いに誰かが次のように答えていた。

教育という分野の試みは10年単位の時間の経過を経ないと結果が出ないものだから。
結果が出る頃には首相や首長は大概現場から離れているので責任が問われないからだと。

たしか、誰かが「教育は現場に任せて為政者は口出ししないのが良い」と答えていた。
しかし、今の教育の現場に携る人々が改革の諸問題に真剣に取組んでいるかといえば疑問が残る。
現場での検討がなされ斬新で画期的な提起がなされたという記憶が小職には無い。
日々の雑事に追われていようと現場からの声を挙げるべきと思う。
そうしなければ新しく就任する首相やら首長の喧伝に教育(子供)が利用されてしまうという現象は後を絶たないと言える。