春彼岸入りを前にして実家の墓清掃のため山のような残雪を踏み固めながら墓までの
アクセスを確保して済まして帰ったその日だった。
私の青春の多感な時期にその書籍に出会い、精神形成上大きな影響を受け、その後の生活においても様々な形での道標(コンパス)の一つに位置づけられる詩人、評論家、思想家であった。
私より22歳上なのだから何れはそのような日が来るとは思っていたが・・・さびしい!!という想いが心の奥底から湧き上がる。
詩人谷川雁らと雑誌「試行」を刊行・連載しているのを知り、米沢の下宿先から会津若松の試行出版部(川上春雄氏)まで出かけて買い求めたことなども思い出した(21~22歳頃)。
改めて氏の著作を紐解いてみたい。
合掌
1967年(二十歳の頃)に買い求め何度も読み返しているため今では擦り切れそうになっている吉本隆明詩集(思想社)の中から、わたしにとっての吉本の原点となる「恋唄」を以下に書き写す。
恋唄
理由もなくかなしかったとききみは愛することを知るのだ
夕ぐれにきて夕ぐれに帰ってゆく人のために
きみは足枷となった運命をにくむのだ
その日のうちに
もし優しさが別の優しさにかわり明日のことが思いしられなかったら
きみは受肉を信ずるのだ 恋はいつか
他人の血のなかで浅黄いろの屍衣のように安らかになる
きみは炉辺で死にうるか
その人の肩から世界は膨大な黄昏となって見え
願いにみちた声から
以下略添付画像参照