2015年1月27日

1月20日のTVニュースで事件が表面化して1週間過ぎた。

状況は刻々と変化するが自身で出来ることは皆無に近く無事の解放を祈るのみ。
ただ、この時点で湯川さんは殺害されているようだという報道も有る。 合掌

メディアの報道を見ていて何か変だ、昨年他界した吉本の言葉を借りれば「ちょっと腑に落ちない」という印象が強く残っている。

なぜこのようなことが起こったか?
地元の新聞(1月27日付)に書かれた経緯を転記すると次のようになる。
・2014年7月28日 湯川遥菜さんがシリア入国
・8月8日 米国がイラク北部で「イスラム国」への空爆開始
・同14日 シリア北部で湯川さんとみられる男性が拘束される。
その後、イスラム国によるとされる犯行声明
・10月25日後藤健二さんがシリア北部からイスラム国の首都ラッカに出発。
連絡が途絶える
・2015年1月17日中東歴訪中の阿倍首相がカイロでの演説でイスラム国対策として2億         ドルの支援表明(*1)
・同20日 イスラム国を名乗り、2邦人の殺害を予告して2億ドルの身代金を要求する      ビデオ表明を公開。首相官邸対策室など設置
・同21日 日本政府、ビデオの2人を後藤さんと湯川さんと判断
・同23日 72時間とした身代金要求期限
・同24日 湯川さんが殺害されたとする写真を持つ後藤さんの画像がインターネット上
に流れる。後藤さん解放の条件に、ヨルダンで収監中の女性死刑囚の釈放を      新たに要求

*1:イスラム国と戦う周辺各国に総額で2億ドル程度、支援をお約束します。

事件が発覚して首相はメディア報道で2億ドルは人道支援だ、テロには屈しないと力説していた。

新聞記事によれば年明けの首相の中東訪問計画を知る政権幹部が、事態が急変した場合の心構えを、中山外務副大臣に「万一、何かがあればヨルダンの首都アンマンに飛んでもらう」と説いたという(*2)。
*2:この頃のメディア報道ではどこもこの様な背景に触れることはなかった。

当方は事件発覚の報道があった際に昨年8月の湯川さん拘束、10月の後藤さんの連絡が途絶えていたことを知り、政府は中東での演説をすればかなりの確度で今回のようなことが起こるリスクを知っていたことになる。

「2億ドルは人道支援だ、テロには屈しない」などの発言は言い訳としか聞こえなかったし、メディアが何もそのことに触れないのはどこかおかしいぞと思った。
25日のTBSの報道特集が初めてそのことにさらりと触れていて、最近の政府のメディア報道への締め付けなのかもしれないと思った。

人質の解放が第一義であるのは当然としても先の経緯や*2を基にすれば「この政権のリスク管理の失敗」は誰が見ても間違いないと思う。
譬えが悪いが「問題を起こしてそれを起こした当人が解決したとしても何の成果にもならず、言い訳にもならない」はずだ。

積極的平和主義を唱える外交施策のリスクが露呈したということになる。