かつて、「新しい判断」と言い約束を反故にしてもいいと公言した政治家がいた。
また、この政治家の発言にはスピード感、しっかりと、着実に、あらゆる、大胆な、間髪をいれず、これまでにない、確実に・・・心に届きそうにもない言葉が並ぶ。
政治は言葉がすべてと誰かが言った。
14日に8都道府県以外の県の緊急事態宣言が解除され、それに先立つ5月4日に厚労省から「新しい生活様式」の要請とその具体例が出されこのところメディアを賑わすようになった。
技術の進化は止められないと思いつつ最近のAIを初めとする過ぎたる?自動化の礼賛は雇用を蝕み働くことの意味を改めて私たちに考え直すことを求めていると感じていた。
また、生活の便利さについても同様で「過ぎたる便利は不便利を生む」は言い過ぎかもしれないが私たちから生活の有りようを考える余裕を次第に奪っているのではないかと思うようになっていた。
そのような中で3.11の後に続いている地震、台風、豪雨などの自然災害に続いて今回の新型コロナ禍である。
天災に人災加わる3.11人災に人災重なるCOVID-19
拙い詠草ではあるがこのように詠んだことを思い出す。
これまで慎ましく身の丈に合った生活で充分と勝手な考えでいた身には何をいまさら生活様式の変更?・・・という想いも募り、治療薬やワクチンができた暁にはまた元の生活様式に戻るのでは・・・とも思ったりしてしまう。
そもそも20年前にUターンして以来、世界の流れの中心を占める経済成長戦略に疑問を持っていた。
約10年前の平成22年度2月に主宰する地域活動の集まり(One Coin 地域力カフェ)で「成熟・縮小社会(又は低成長社会)」について参加者と話し合ったことを思い出す。
関心をお持ちの方は先の掲載記事(弊HPのコラム飛耳長目)及びその参照資料を参照ください。