2014年8月16日

2014.06.01のこのコラム「山形の初夏1-②」で朝日町の椹平の棚田を訪れ隣接する高台にある「一本松農村公園」から眺めた光景(棚田と姫サユリ)を写真に切り撮り次の様に詠った。
・里山の初夏を先取る姫小百合早苗の棚田に添えし一服の色

たまたま地方紙に主題の記事を見つけこの地の棚田が戦争の遺構であることを知って目から鱗の印象を持った。

記事では太平洋戦争の頃はこの地は桑畑を育てていたが国主導で山林開墾が実施され(41年)愛着のある桑の木を切り倒すことに大半の人が抵抗もなく従事したようだが厳しい作業に反抗的な人は懲罰として両手に水が入ったバケツを長時間持たされたと言う。
開墾作業が完了する前に敗戦(45年)となり約14ヘクタールの棚田が完成し米作りが始まったのは翌年の46年だったと言う。
当方が生まれた年(47年)の前年に出来上がったということになる。

私たちが日々目にする光景には表面的には窺い知れない様々ないきさつがあるということに改めて気付かされる。

それはまだ学生の頃に耳にした次のような例え話に代表されるのかもしれない。

・小高い丘から眺める電灯がついた家並みの夜景はきれいなものかもしれないが見方を  変えればその夜景の下では厳しい生活を強いられて苦しんでいる人々が数多くいる。

当方のコラム記事(朝日町の椹平の棚田を訪れて写真と短歌に収めた)もこの新聞記事がトリガーとなりこのような視点、考え方を改めて思い起こす機会となった。