写真を長年続けてきた私が「遊縁の衆」で短歌を嗜むようになり、短歌も写真もそれぞれ創るプロセスに共通点があることに気付いた。
そしてこの二つを融合させたら面白いと考えて「情景を切り撮って詠う」ということを試行しながら【 写真短歌 】として紹介している。
そのメリットは相乗効果と補完効果に尽きると思うが、短歌を独立した作品とする場合はその推敲に工夫が必要とも言える。
写真短歌の中の短歌は写真の呪縛から如何に自由になれるかが課題と言えるが・・・。
それはそれとして、この写真短歌の広がりに淡い期待を持っているのも事実と言える。
作品は写真および短歌ともに自身が手掛けたもの「写真短歌-Ⅰ」と他者の写真に当方が短歌を添えた作品「写真短歌-Ⅱ」とします。ただし、何れも短歌が単独で「やましん歌壇」に掲載された作品とします。
写真短歌-Ⅰ:写真および短歌ともに自身が手がけたもの
写真短歌-Ⅱ:他者の写真に当方が短歌を添えて共同制作としたもの

  • ヴェネツィアの恋人たちの息づかひ不意に湧き出づ古きアルバム

  • コロナ禍のおくやみ欄に「家族葬」たちまち広がり薄らぐ絆

  • 小鳥らとジューンベリーの収穫を競うも譲る「共生」のため

  • 朽ちてなお青空割(さ)きて凛と立つ白骨木(はっこつぼく)は樹林の中に

  • コロナ禍を娘と語る三日間われら夫婦の未来予想図

  • 連れ合いと歩みこし日々半世紀はからいささやかコロナ禍の宴

  • 春さなか芽吹く雑木々従えて勇者のごと立つ辛夷の白し

  • 咲き匂う桜の前の老いふたり背に漂えり偕老(かいろう)の日々

  • 風が凪ぎさざ波消ゆる杜の池逆さ紅葉に綾錦なる

  • 一条の縄で括られしんと立つ夕光(ゆうかげ)の射す墓じまいの石