9月10日のコラムで五輪招致報道に触れたがその後も各TV局はプレゼンに係わったメンバーを入れ替えながら「舞台裏」の報道に余念がない。
特にパラリンピック経験者のプレゼンと本人を迎えて分野の専門家のコメントを交えて取上げられている。
きょうの番組で健常者ではない彼女の経験などに触れながら専門家が「こころのバリアフリー」を強調しているのを見てそのような視点のキーワードをようやく耳にしたという印象を持った。
因みに当方がバリアフリーに係わったのが15年前(1998年)である。
その頃はバリアフリーという考えがこの山形ではマイナーな考えであったし自身もまだ詳しくはなかった。
そんな折、ある企業の事業展開支援に係わることでいろいろ調査、検討したわけだがその時にバリアーを次のような「六つのバリアー」と規定したことを想い出した。
物理的なバリアー/制度的なバリアー/情報的なバリアー/意識的なバリアー
経済的なバリアー/文化的なバリアー
「こころのバリアフリー」はこれらの「意識的なバリアー」と類似していると思われる。
ここ数年はバリアフリーの考えから「ユニヴァーサルデザイン」という考え方に移っている。
それはしょう害者だけにとってのバリアーという視点ではなく「老若男女だれにとってもやさしいデザイン」という概念としてとらえる考え方とデザイン手法として広まりつつある。
五輪招致その後の報道で触れられた「バリアフリー」が一時的な関心ごとに終わらないことを祈りたい。