たまたま生協からの通信(チラシ)に山形県母親大会(第44回)でアーサー・ビナード氏(詩人)の講演の案内を見つけた。
初めて氏を知ったのは原発事故後のTV番組の中であった。
数人の日本人の識者の中でその真摯な発言が際立っていたので記憶に残っていた。
そのような折、氏が尾花沢に来るとの情報があり母親大会でこの講演のみの参加ということでもOKということを確認して足を運んだ。
昼休みの終わり頃に着いたためか書籍販売をしていて(プチサイン会?)並んでいる人も少なかった。
「さがしています」を購入して(*)氏と当方の参加理由や氏の活動現況などについて短い会話をしてサインをもらい握手をして会場に入った。
*:広島の平和記念資料館の地下収蔵庫にある2万1千点の中から14点を選んで写真家岡倉禎志が撮影した写真に氏が詩を付けて「詩・写真」集として発行したもの。
そして、なかなか面白い話を幾つか聞くことができた。
その中から宮沢賢治の詩の「雨ニモマケズ」をどう読み取るかの紹介は「眼から鱗」であった。
一言で言えば里山を詠んでいながら継続可能な自給自足の里山社会、即ち「共同社会のありよう」を詠っているのだとの指摘。その一例を下記に示す。
野原ノ松ノ林ノ 蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
東ニ・・・、西ニ・・・、南ニ・・・の後にそれぞれ「行って・・・」と続くが「北ニ・・・」に続くところでは「行って」と書いていないのは何故か?
それは、東、西、南のそれぞれへ対応は行くという行動で問題、悩みを解決できる。
ところが「北」の「ケンクヮヤソショウ」という問題、悩みは「行って」も直ぐには解決できないからと読みとることができる。