2016年8月17日

時折、このコーナーにも目を向けているがこの日は「子供の声」。

保育園、電車車内などでの子供の騒ぎ声、泣き声、・・・大人に寛容さが失われてきつつあるようだ。

先に炎上したブログ(待機児童)もそうだがこの国はかっての良き「子供は将来の宝」という考えはとうの昔に置いてきたようだ。

かつて子育てを経験したはずの高齢者も保育園の建設には「総論賛成各論(自分の居住地)反対」という内容には残念という感想を持った。

「資源を持たないこの国の唯一の資源はウルサイけれど子供ではないか」という養老猛司氏の著書での指摘を思い出した。

このような視点に立つと今の社会に長期的視野に立つ施策が見当たらない。
メディアも読者の目を引くリオのメダル数の記事(もちろん、それも大事ですが)を追いかけるだけでなく、このコーナーのような小さい扱いに止まらず待機児童の問題に広げて根本的原因解決に向けたフォロー企画を望みたい。