このところ、新聞やTVコマーシャルでこの最終処分場に関する
政府機関の広告が目立つようになった。
次の理由から何をいまさらの感を拭えない。
記憶が正しければ、原子力発電所の廃棄物処分の先進国北欧の事例を
これまでも何度か見聞きし、北欧には地下数百mに強固な岩盤支持層が
あるということを知る一方、地震大国日本にはそのような強固な岩盤支持層が
見当たらないのは自明で、どう対応するのだろうという疑問が残ったまま
今を迎えています。
8月25日の地方紙(山形新聞)に「最終処分場 世界初操業 フィンランド、
来年にも」という見出しの記事を見つけました。
記事によると最終処分場を巡っては、カナダや欧州でも計画が進むとある。
この記事も北欧の事例の紹介に止まっており、日本の現状に言及する
内容にはなっていない。
期せずして何度目かの再読中の、「13年前」に購入した倉本 聰氏の
著書「ヒトに問う」の中に次のような一文を見つけ、このコラムで当方の
言いたいことを述べているので少し長くなるが紹介したい。
これを読む限り、倉本氏の著書から13年間という時間の中で日本は
課題の改善に手をこまねいていた(何も変わっていない)ように思える。
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・・・さて、延々とこゝまで述べてきたのは、原発というものを発想した
当時の科学者、政治家、企業家たちが、そこから出てくる核のゴミをどう
処分するべく考えていたかという事からである。
核のゴミが出ることは判っていた。
それが容易に処分できない代物であることも判っていた。ばかりか処分の
方法は当時全く見当たらず、だがパンドラの箱の中身に魅せられて、
とりあえず箱のふたを開けてしまった。
パンドラの箱とは、ゼウスがパンドラに、あらゆる災いを封じこめて
人間界に持たせてよこした小箱、或いは壷のことを云う。これを開いた為
不幸が飛び出したが、あわててふたを閉めたために希望だけが残ったという
ギリシャ神話だが、多分原発の発想者たちは、パッとすばやく開けパッと
閉じて、「希望」だけを捕獲しようという綱渡り的行為が、今の科学の力でなら
出来得るだろうという傲慢な妄想にとり憑かれていたにちがいない。
だがやってみるとそうは簡単にいかなかった。放射能という恐ろしい
不幸は、瞬間的なふたの開閉に、アッという間に地上にばらまかれる。
それが高低二つのレベルのいわゆる放射性廃棄物だが、いずれの廃棄物も
その処理方法が未だに確実には見つかっていない。
そのことはみんな判っている。
判ってはいるがそれより何よりパンドラの箱の中の「希望」が欲しくて
とりあえずふたを開けてしまった。その時飛散する「不幸」については、
地底に埋めようとか様々な庵が出たが、結局未だに方法が見つからず、
そのうち子孫たちが考えるだろうと、「未来」という名のゴミ捨て場に
応急処置として委ねることにした。そしてその応急処置的中間貯蔵が時を
重ね中間貯蔵所が満タンになろうとしているのに、何とも能天気な経済社会は
今日明日の景気の維持を優先して原発稼働、更には原発新設まで叫んでいる。・・・
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