今年の敗戦(終戦)記念日は戦後80年という区切りにあたるためかメディアの取り上げ方も例年と色合いが異なる。
団塊世代の勝手な想いなのかもしれないが、もの心がついてからこのかた終戦という言い方にある種の違和感(敗戦ではないのか?)を持っていた。
令和5年に次のような推敲を重ねた拙詠がやましん歌壇に掲載となり、これでようやく心の中の澱が消えたという思い。
♬ 敗戦を三四半世紀終戦と言い換え風化す八月十五日
これまでの経緯を弊HPの「コラム飛耳長目」のなかを紐解くと次のように2回投稿している。
①2020年8月16日に「拘って“敗戦”記念日(8月15日)」というタイトルで。
(参照:https://sk-solutions.org/archives/column/4866)
8月15日の地方紙の1面に「終戦75年・・・」という表現(トップでは無い)。「敗戦」という言い方のメディアは皆無なのではないだろうか?
今回は思うところを次のように詠んだ(即詠)。
♬ 言い換えて七十五年敗戦は終戦となり記憶薄れゆく
また、夜9時からのNHKスペシャルは「失われた戦後補償」を見た。重たい内容のドキュメントで主に民間人の補償を取上げていた。 NHKのドキュメントは良い作品を手掛けることが多いと思った。
②2012年8月15日に「敗戦記念日(敗戦忌または終戦記念日)」というタイトルで。
(参照:https://sk-solutions.org/archives/columnarchive/3432)
今年で何年が過ぎたのだろうか・・・63年・・・。
今朝の地方紙の一面を見て少々驚いた。これまでのこの日の新聞ではこの記念日をトリガーに地方のメディアであっても何らかの特集を組むような対応があったような記憶があるが今年はそれがなかった。
その名称には色んな意見があるにしても関連するような記事も与野党の談話発表などはあるものの、それ以外の紙面にも記事が殆ど無い。
メディアとしての取上げ方があって欲しいと思うのは陳腐なのだろうか。年に一度ではあっても一つ大事な記憶を心に刻む機会と捉え、地方紙であってもこの記念日をテーマに紙面を組むのはその責任なのではないかと思う。
常に目新しい記事を追い求めることが宿命ではあっても。