Facebook上の公開投稿の中に、『どうしてSNSでは人々はあれほど攻撃的な言葉づかいをするようになるのか?』というタイトルで、フランス文学者で武道家、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏の論考を紹介する投稿(~~部)が目に留まった。
出典はYahooニュースとあったので調べたところAERA2025年6月2日号の巻頭エッセイ「eyes」ようだ。 出典になっている内田氏のAERAの論考(「SNSに飛び交う罵倒と呪詛『空虚な人』が拒絶したもの」)の全文を知りたい方は次のURLを参照ください。 https://news.yahoo.co.jp/articles/addab23bbefe5d3ec3d66259e7036b4d92091c51
最近はSNS上の攻撃的な言葉づかいを見聞きして耐え難いと思いつつ、そう思う理由を整理できず喉に刺さった魚の小骨のように気になっていた。 一時的にせよそれが取れたような気持ちにさせてもらえた。投稿文を転記で(~~~部)紹介したい。
加えて、内田氏の著書、新聞掲載の氏の論考などについての拙コメントを弊HPの「コラム 飛耳長目」に次のように紹介している。併せて参考になればと思いタイトル&URLを記載するので参照されたい。
・思想家 内田 樹氏の掲載記事に「腑に落ちた」感覚を味わえた
2020.5.12 https://sk-solutions.org/archives/column/4681
・再び内田樹の論考(8月19日付け山形新聞「直言」):「無意味耐性」高い人たち
2021.8.23https://sk-solutions.org/archives/column/5603
・久々に内田樹の著書を手にする。
2024.7.70https://sk-solutions.org/archives/column/7438
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ネットで飛び交う言葉のほとんどは定型的な罵倒と呪詛の言葉である。でも、その発信者が匿名にとどまる限り、読む人の肺腑をえぐるような激烈な罵倒や呪詛を以てしても、心の奥底にわだかまる『本当に個人的なこと』を語ることはできない。
私たちは自分の中に誰もが『人に知られたくない邪悪な、非道な思い』を抱え込んでいる。これにはほぼ例外がないと思う。私たちは日々その自分の邪悪さや卑しさや弱さに向き合い、そういうものを抱えている自分を引き受けて生きている。そして、その内的葛藤が私たちを少しだけ複雑な人間に仕上げてくれる。
でも、SNSで『人に知られたくない内なる邪悪さ』を、できあいの定型句に載せて『汚物』のように気分よく排泄してしまうと、その人は『本当に個人的なもの』とたった一人で正面から向き合う機会を逸してしまう。おのれの邪悪さや卑しさや弱さをみつめ、それを引き受けることを拒んだ時、そこに『空洞』が穿たれる。
最近、『空虚な人』という以外に形容のしようのない人を見かけるようになった。目の奥に『何もない』のだ。彼らはたぶん人生のどこかで自分の邪悪さや愚かさや弱さと向き合い、それを引き受けることを拒絶したのだと思う。その内的な空虚が表情や発語にまで露呈しているように見える」
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