2024年6月18日

最近のウクライナ戦争、イスラエルとハマスの紛争、・・・世界中いたるところで宗教(特に一神教)が根幹に関わっている争いが絶えない(頻発)している。

かつて、「”八百万の神 ”という特異な宗教観を持つ日本だからこそ、このテーマについて解決策を提起できる唯一の国ではないか」ということを記したことを覚えているがどこに記したか思い出せないでいた。

今朝、FBの投稿で次のような投稿がなされていた。かなりの長文なので当方の稚拙な上記の考えと符合して「確かに!」と得心させる箇所をピックアップして紹介する。

 

【他宗教に対して寛容な日本人】

曹洞宗・安泰寺住職、ネルケ無方氏の心に響く言葉より…

・・・前略・・・

本尊が何仏であるか、わからなくても日本では住職を務められる。

悪く言えばいい加減で曖昧だが、柔軟性があるとも言える。

この柔軟なところが肝要だ。

「柔軟さ」が、世界宗教になくてはならないひとつの要素である。

柔軟性を失い、固くなってしまえば、固い宗教、偏っている宗教、喧嘩せざるを得ない宗教になる。

それは人の役に立たない。

人に害を及ぼす宗教だ。

そのこだわりが、相手の宗教を否定してしまうことにつながる。

宗教にこだわりすぎている人には、本当の宗教心がない。

宗教が必要だと強く主張する人には、宗教心が足りない。

宗教心が本当に自分の中にあふれていれば、宗教を問題にする必要がないからだ。

日本人にとっての宗教は、空気を吸って吐くように自然なものではないだろうか。

宗教心があふれているからこそ、無宗教に見える。

だから、他宗教に対して寛容にもなれるし、宗教を理由に他人を否定する必要もない。

宗教に無関心である日本人は、最も宗教的な人々だと私は思う。

・・・後略・・・