2026年11月5日

誤解を与えたとすれば申し訳ない――。もはや釈明の言として定着した感の
ある言葉ですが、耳にするたび、釈然としない思いに駆られます。
えっ、それってこちらの誤解だったの!?と。

政治家や企業トップの謝罪会見で、相変わらず頻繁に登場する言い回しです。
「舌足らずだった」なども含めて「フェイク謝罪」と呼んでいる方もいます。
差別発言や軽率な発言であっても、問われているのは発言者の考えであるのに、
表現の稚拙さやコミュニケーションの問題にすり替えてしいるように思えます。
さらに言えば、受け手が「誤った理解」をしているのであって自分は非難される
いわれはないという責任回避や転嫁になっているように感じられます。
次のような例示をWeb上に見つけましたので2,3紹介します。

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①「誤解を招く発言」は、本来の意図とは違う捉え方をされてしまう可能性が
ある発言という意味になります。
例えば、誰かに「明日は来なくてもいい」と伝えたとします。
その発言者としては、その相手が面倒だろうと考えてそのように伝えてものの、
聞いた方が来ても意味がないので来なくていいと言われたと捉えてしまった
ような場合がこの「誤解を招く発言」にあたります。
つまり、そういうつもりではないのに、間違った捉え方をされてしまった、または
そうとも捉えることができるといった時に、それが「誤解を招く発言」だったと
使われます。

②失言を巡って、次のような発言を見聞きすることがあると思います。
誤解があったとすれば、遺憾です。これを「謝罪」と取るか「釈明」と取るか。
これによって、発言の意味は変わってきます。「誤解があったとすれば」という
言い方は、「~であったとすれば」という仮定で表現しています。つまり失言内容に
ついては「基本的に間違っていない」という意識が働いています。聞き手(読み手)が、
話し手(書き手)の真意を理解していないということが前提になっています。

③「誤解」云々(うんぬん)という言い訳は、政治的に問題のある発言や侮蔑的な
発言をしたのにそれを誤解だと言い張り、なかったことにしようとする謝罪もどきである。
自分がやったことをあたかもやっていないかのように後になって否認する。
そうすることで発言の責任から逃れようとする。そうした言い訳が白々しいもの
であればあるほど、それは言葉の責任を軽んじる振る舞いになる。

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