このところメディアで何度も見聞きする「戦後80年」というキーワード。地方紙の特集コーナーの「いま伝えたい戦後80年 ⑨」に、作家の池澤夏樹氏の論考が目に留まった。敗戦の年の生まれとあり、まさに「戦後80年」という特集に沿った人選かと。
戦後(1947年)生まれ(団塊世代)の当方とは2歳の年の差になる。生憎とこれまで氏の著書とは縁がなかったが、論考の中に目に留まった文章があり紹介したい。
*「戦後」は年号なんだと思う。「もはや戦後ではない」とも言われたけれど、平成になっても、令和になっても使われている。それまでの時代でずっと戦争をしてきたから、露骨に戦争をしなかったのは、相当な変化だったのだろう。
*日本は米国の言うことをよく聞いて、平身低頭でやってきたのに、「ただ乗り」だとか言われておろおろしている。戦争に負けるとはこういうことなのか。今も日本は敗戦国のままなんだ。
*平和は消耗品。放っておけば減っていく。常に争いを排除していくことで保っていかなければいけない。こうすればいいと僕は言えないけれど、今の、「やばさ」をきちんと認識し、おびえる必要がある。
戦後80年と改まることはないと思ってはいるが、暑い夏を迎えるとやはり多くの情報が目に入ってくる。
短歌を嗜むようになって12年、キーワードとしての戦争、敗戦、戦後、改憲などに思いが及び、それらを題材にした次のような短歌(社会詠)を詠んでいることに気が付く。
・腹を見せ横たわりおる落ち蝉に蟻の群がる今日は長崎忌
・敗戦を三四半世紀終戦と言い風化する八月十五日
・ごみを出すわれの先ゆく一匹のあきつに気付く今日広島忌
・ひたひたと足音聞こゆ改憲の数の揃うを報じるメディア
・他人ごとと言えぬ歴史ありわが国の百年前の言論統制
・ゆく夏を惜しむがごとく鳴き頻る蝉と迎うる敗戦忌の昼
・戦時下の「欲しがりません」浮かびくる新生活のメディアの喧伝
・めぐり来る建国記念日新聞に是非論載りしも遥かとなりぬ
・戦争を知らない世代が世の中を動かす社会いつか来た道