今日2月11日は建国記念日。
地方紙にはその記事が見当たらないと思って目を凝らしたところ、3面に小さくたった15行、百八十文字足らずの記事が見つかった。メディアの関心もこの程度のようだ。
検索してみたら次のような記載があり、どうやら「建国記念日」とは呼ばずに「建国記念の日」と呼ぶらしい。
その理由は
・・・「建国記念日」とは呼ばずに「建国記念の日」と呼ぶのは、史実にもとづいて建国
した日そのものを記念するわけではなく、日本が建国されたことを祝う日だから・・・
とある。
さて、この時期は戦後派の団塊世代としても気にはなるテーマでもあったので、卑近な例で申し訳ないが紹介します。
当方が下記の短歌を詠んだこの時(平成31年)もすでに記念日の是非論などの風化が気になっていて、それから6年で更なる風化が進んでいるようだ。
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短歌を投稿している地方紙の歌壇(やましん歌壇)の平成31年(令和が始まる年)4月16日付けにこのテーマを詠んだ一首が筆頭一席として掲載された。
めぐり来る建国記念日新聞に是非論載りしも遥かとなりぬ 阿部京子選(筆頭一席)
選評 皇国史観で教育を受け、戦後全てを否定されて戸惑った。四大節の一つ「紀元節」を「建国記念日」と変えることに世論沸騰した頃への感慨を詠んだ。
これまでの拙投稿で社会詠が一席になったのは珍しい(これまでの10年間での掲載歌183首のなかで筆頭一席~三席になったのは9首、その中で社会詠はこの1首のみ)。