17日の地方紙の「思考の現場から」に千葉一幹氏の論考が載っていた。
タイトルを「変化し続ける日本 社会に好ましいことか」として習慣・不便・便利の区分けでパリでの在外研究での経験に触れながら記載している。
以下に一部転記で紹介する。
習慣:
・・・日本では、アメリカ資本のコーヒーチェーン店が上陸してから、既存の喫茶店が軒並み閉店に追いやられた。だが、パリでは大勢の人で賑わっている。
・・・フランス人は昼休みや仕事終わりに友人などとカフェで一息つくという習慣を捨てようとしない。
・・・日本だと、大手のスーパーが出店するとスーパーと商品が競合する個人商店は、閉店に追い込まれることが多いが、パリではそうならないようだ。それどころかパリでは、毎日どこかしらでマルシェ、つまり市」が開かれている。
不便:
・・・フランス社会の変わらなさは、しばしば不便さにもつながる。パリの地下鉄も相当不便だ。地下鉄の駅にトイレが無いことは以前書いたが、多くの地下鉄の駅にはエスカレーターもない。
・・・地下鉄で度々見かけるのは、重い荷物を抱えた人や、ベビーカーを押すお母さんらしき人がいると、大抵誰かが手助けをしている光景だ。
・・・フランス人は困ったことや不満があるとすぐにそれを口にして他人に訴えかけるということだ。
・・・つまり、人と人はコミュニケーションを取るものだということが前提になっているのがフランスだと思う。
便利:
・・・日本での生活の便利さは、人が不満を感じ、それを口にする前に対応することを目指すもののような気がする。利便性を求め変化し続ける日本は、人が言葉を発する機会を少なくする方向に進んでいるのではないか。その変化は社会にとって好ましいことなのか。止まらぬ少子化の遠因もそんな日本社会のあり方に関わるのではないだろうか。 光には必ず影が伴われる。不便さが思わぬ利得をもたらすように、便利さは大切な何かをわれわれから奪っているのかもしれない。
この論考を読みながら、かつて「過ぎたる便利に潜む不便利」について考えたこともあった。
それはこの季節の身近な例でもある除雪車の残していく堅雪の「間口処理」。
車社会になり久しいが当方が子供の頃の冬が懐かしい。
当然除雪車などはなく圧雪された道路の上を路線バスが通り、後ろのバンパーに竹スキーで繋がって遊んで叱られたことが脳裏に残っている。時代が違うと言えばそれだけのことですが・・・。
かつてFMラジオ番組で紹介したり、本コラム( 2015.02.20)でも次のタイトルで取り上げた事例を一つ紹介します。
”「公助」の先進地の状況@ 村山市「雪の間口除雪」を考える”で思うこと
関心がある方は次のURLを参照願いたい。