人の耐用年数という言葉が大晦日の朝、いつものルーティンワーク(40分程度のストレッチ)中に湧いてきた。
耐用年数という表現はよく電化製品などでしばしば使われ、人にはあまり使わず強いて言えば「健康寿命」に相当するかもしれない。
例えばエアコンでは最近は出来れば7年、使っても10年言われ、修理用部品のメーカー保有期間は大分前から7年間と聞いた記憶があるし、部品があっても修理代が高いため買い替えを勧められることが多い。また、その発想に染まる自分に気付かされる。
SDGsが喧伝される昨今だが、かつては3R(リデュース・リユース・リサイクル)というアクティビティが推進された時期や「ものを大切に使う」という考えもあって懐かしく思い出される。
例えでいえば、車は燃費の良い車へとの買い替えキャンペーンが叫ばれたことがあり、その折には「短期的発想よりも長期的視点が大事」と「LCA(ライフサイクルアセスメント)*」を紹介したこともある。
*:製品やサービスの製造・生産から消費、廃棄、リサイクルに至るまでの過程でどれだけ環境負荷がかかっているかを見える化する手法
話を戻そう、人間はエアコンのように取り替えることが出来ないのは自明。
差異はあるが人はある年齢になると、身体のあちこちで不具合が生じうまくメンテナンスをしながら生き永らえることになる。他からのサポートを受けることなく対処ができている状態を称して「健康寿命」ということのようだ。
因みに言えば、令和4年3月にご縁がある山形市立図書館にて「市民の出版物展記念講座」を開講する機会があり「クオリティ オブ ライフの羅針盤(自分史の視点から)」というテーマで話す機会があり、その折に「健康寿命」にも少し触れる機会があった。
最近、何度目かの再読をしている五木寛之の著書の一つに「こころ・と・からだ」がある。
その中で「思うにまかせぬこと」として「生老病死」を紹介している。確かにそうだ!!と何度目かの得心をしたところ。
二人に一人は癌になると言われるようになり成人病の一つにされて久しいが最近は生活習慣病と言われつつあるようだ。