写真を長年続けてきた私が「遊縁の衆」で短歌を嗜むようになり、短歌も写真もそれぞれ創るプロセスに共通点があることに気付いた。
そしてこの二つを融合させたら面白いと考えて「情景を切り撮って詠う」ということを試行しながら【 写真短歌 】として紹介している。
そのメリットは相乗効果と補完効果に尽きると思うが、短歌を独立した作品とする場合はその推敲に工夫が必要とも言える。
写真短歌の中の短歌は写真の呪縛から如何に自由になれるかが課題と言えるが・・・。
それはそれとして、この写真短歌の広がりに淡い期待を持っているのも事実と言える。
作品は写真および短歌ともに自身が手掛けたもの「写真短歌-Ⅰ」と他者の写真に当方が短歌を添えた作品「写真短歌-Ⅱ」とします。ただし、何れも短歌が単独で「やましん歌壇」に掲載された作品とします。
・写真短歌-Ⅰ:写真および短歌ともに自身が手がけたもの
・写真短歌-Ⅱ:他者の写真に当方が短歌を添えて共同制作としたもの
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鐘楼を背に群れ咲きし山吹の覆う斜面を風の吹き降る -
茎立ちてクリスマスローズ群れており雪解(ゆきげ)に目覚むる眠り姫のごと -
山頂で出会いし人らと黙祷す二時四十六分わが東北忌 -
築山のにわか仕立てのゲレンデに響く歓声子らの箱ぞり -
悔しかり野菜のトマト浮かび来ず認知機能の検査問題 -
走りものの無花果求めジャムづくり秋を呼び込む男の厨 -
敗戦を三四半世紀終戦と言い換え風化す八月十五日 -
雪渓の融くる流れに手を浸し十秒間の痺れたのしむ -
訪問者の期待の百花に添うがごと綿毛飛び交うオープンガーデン