写真を長年続けてきた私が「遊縁の衆」で短歌を嗜むようになり、短歌も写真もそれぞれ創るプロセスに共通点があることに気付いた。
そしてこの二つを融合させたら面白いと考えて「情景を切り撮って詠う」ということを試行しながら【 写真短歌 】として紹介している。
そのメリットは相乗効果と補完効果に尽きると思うが、短歌を独立した作品とする場合はその推敲に工夫が必要とも言える。
写真短歌の中の短歌は写真の呪縛から如何に自由になれるかが課題と言えるが・・・。
それはそれとして、この写真短歌の広がりに淡い期待を持っているのも事実と言える。
・写真短歌-Ⅰ:短歌が“やましん歌壇”に「短歌」の単独作品として選歌掲載されたもの
・写真短歌-Ⅱ:学生時代から現在までの写真に短歌を付与して写真短歌とした中から気に入っている作品
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高原の藪を掻き分け進む先叢れ咲く菖蒲に擦り傷忘る -
お達磨の匂いやかなる江戸彼岸いにしえ人の心を映し -
春の暮の花散り果てし山里の黄昏時は緑のとばり -
地方にもインバウンドの波至り行楽の地に多国語溢る -
道の辺の祠の裏は春さなか日影うらうらカタクリ群れて -
一輪の流れ着きたる雪椿堪えぬきし冬を緋に秘めており -
御堂へと続く参道雪積みて鳥居を前に佇み祈る -
散りもみじ甦らせて水の面は新たな舞台漣もなし -
幸せのきざしか突如の二重虹雨の上がりし刈田に架かる