写真を長年続けてきた私が「遊縁の衆」で短歌を嗜むようになり、短歌も写真もそれぞれ創るプロセスに共通点があることに気付いた。
そしてこの二つを融合させたら面白いと考えて「情景を切り撮って詠う」ということを試行しながら【 写真短歌 】として紹介している。
そのメリットは相乗効果と補完効果に尽きると思うが、短歌を独立した作品とする場合はその推敲に工夫が必要とも言える。
写真短歌の中の短歌は写真の呪縛から如何に自由になれるかが課題と言えるが・・・。
それはそれとして、この写真短歌の広がりに淡い期待を持っているのも事実と言える。
作品は写真および短歌ともに自身が手掛けたもの「写真短歌-Ⅰ」と他者の写真に当方が短歌を添えた作品「写真短歌-Ⅱ」とします。ただし、何れも短歌が単独で「やましん歌壇」に掲載された作品とします。
写真短歌-Ⅰ:写真および短歌ともに自身が手がけたもの
写真短歌-Ⅱ:他者の写真に当方が短歌を添えて共同制作としたもの

  • 冬立てり霜の朝の蜘蛛の巣は星をかたどり過客を癒す

  • 一匹の車窓の飛蝗に甦りふと口遊さむ「いまはもう秋」

  • ふる里の伝承絶えし獅子頭設ふ古祠に父の面影

  • 粟島に重なり見ゆる影月山出で合う幸をひとり噛みしむ

  • 足元に蚊遣り焚きつつ登り窯の火入れ待ち居る窯主ひとり

  • 雪原を一輛列車進み行く女子高生のにぎわい乗せて