松の内気分が抜けたこの日の地方紙に想田和弘氏の“重篤化たどる日本の民主主義―「政治の消費者、脱却を」”の投稿があり面白く読んだ。
氏の名前と記事にはこれまで目にしたことが無いが米ニューヨーク在住の映画監督とある。
中でも「政治の消費者」という言い方に興味を覚えた。
掲載内容を要約転載すると次のようになる。
・「消費者民主主義」と呼ぶべき現象が存在するのではないか。
つまり、日本人は深刻な誤解をしている。
政治家は政治サービスの提供者で主権者は票と税金でサービスを購入する消費者である 。だから私たちは、候補者や政党を商品のごとく見比べ「買いたいものがない」と投票 を棄権する。
また、次のような記述は一見過激なようにも見えるが実はもっともな正論のように感じる。
・日本のデモクラシーは重い病に罹患しているのではないか。年末の衆院選で病はさら に重篤化したのではないか。
・発端は3年近く前、下野していた自民党が独自の憲法改正案を発表した。・・・国民 の基本的人権を制限し、全体主義を志向する驚くべき内容だった。・・・メディアや 知識人から激しく批判され、主権者には警戒され、決して政権には復帰するまい。
そう思った。だが僕の読みは甘かった。・・・
首相が解散権を乱用して強行した先の衆院選でも政権の継続を容認した。
・僕は第2次阿倍内閣誕生以来の現象を「熱狂なきファシズム」と呼んでいる。政治屁 の無関心が広がる中、低温やけどのごとく、じわじわと全体主義的な体制が敷かれて いく。ファシズムであるという自覚さえなしに。
特に、「政治家は政治サービスの提供者で主権者は票と税金でサービスを購入する消費者である」という件に妙に納得してしまった。
衆院選前の動向をもとに11月10日のコラムで「阿倍首相の政治手法について」と書いたわけだが、その後の国内の流れを海の向こうの一識者が冷静に分析し注意を喚起している。
国内からこのような意見が出ていないのは何故だろうか?
氏の指摘のように日本の民主主義は重篤な状態なのかもしれない。