2016年10月20日

最近久しぶりに阿久悠に関する書籍を購入して読んだ。
それは、死ぬ半月前までの26年7カ月毎日欠かさず書き続けた日記をもとに三田完が書いた「不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む」として出版された書籍。

個人的には阿久の詞や作詞家として成し遂げたことを評価しており、新書版「書き下ろし歌謡曲」、死後に出された「凛とした女の子におなりなさい」や阿久について書いた重松清の「星をつくった男」なども読んだりしている。

次のような箇所に興味を覚えた。
・短歌も詠む作詞家だった。
・学生時代(明治大学)の卒業論文のテーマは和泉式部、指導教官は斎藤茂吉の弟子柴生田稔教授。
・宗教学者山折哲雄が阿久の死の前年に上梓した著作で阿久の詞と和泉式部の関わりを論じている。それは「挽歌の伝統と『北の蛍(*)』」と題した文章で、山折の著作には不案内だが阿久の詞による『北の蛍』は森進一により1984年に歌われておりなかなか良い詞、曲と思う。
*:https://www.youtube.com/watch?v=IoNdfSU4DyU
・ニュース短歌も詠んでいる

因みに阿久は1937年生まれ、当方は1947年生まれ、三田は1956年生まれでそれぞれ概ね10年の年の差がある。
それがどうしたと言われたら言葉に窮するが・・・。