2024年7月30日

拙作品の常設コーナーⅠ&Ⅱでお世話になっている市立図書館の検索で見当たらなかった氏の直近の新書版「だからあれほど言ったのに」を手配してもらい漸く借りることが出来た。

これまでも、「街場の教育論(*)」などの著書に触れているが今回は2週間という借用期間で読み終われるかどうか・・・。
続けての借用ができるか不確かなので、とりあえず著書の中でなるほど(最近の朝ドラに出てくる判事の口癖で「含蓄のある言葉」と最近わたしは多用している)と感じた箇所を二、三紹介する。

*:かつて、市の委託事業でPMのワークショップ講座を開催した時の受講者の一人が当時現役の教員(たしか教頭)だったことがトリガーとなり、初めて内田氏の著書に触れることとなった。以来知友としてお付き合いしており、前述の図書館でのアクティビティの橋渡しをしていただいた。

♪ 日本という政治のシステムについて

・問題は「政治はこれからもまったく変わらない」という諦念が広がると国民の中から「この不出来なシステムを主権国家としてのあるべき姿にどう生き返らせるか」よりも、「この不出来なシステムをどう利用するか」をまず考える人たちが出てくることである。

・私たちは今、二者択一を迫られている。

一つはシステムを「活用(hack)」 する。死にかけた獣に食らいつくハイエナのように。もう一つはシステムの外へ「逃げ出す(run)」こと。

・その選択が令和日本の、特に若者に突きつけられているのだ。そして、ここには「システムの内側に踏みとどまって、システムをよりよきものに補正する」という選択肢だけが欠落している。

♪ 「貧乏」と「貧乏くさい」の違い

・「貧乏」と「貧乏くさい」は違う。貧乏というのはクールでリアルな経済状態のことである。精神状態とは直接にはかかわりがない。だから、貧乏でも心豊かに暮らすことはできる。

・ある時期から日本人は「貧乏くさく」なった。

何よりも「公共財」として国民が共有する富から自分の「割り前」をできるだけ多めに切り取ろうとするふるまいが最も「貧乏くさい」。

・バブル経済が弾け、自分のパイの取り分が減り出すと、急に人々は貧乏くさくなり、他人の取り分ついてあれこれ言い出した。「働きもないのに取りすぎているやつがいる。社会的有用性に基づいて、資源は傾斜配分されるべきだ」と。そういう理屈をこねながら日本人はどんどん貧乏くさくなっていった。

♪ 憲法の「主体」とは誰か

・「現実と乖離しているから憲法を書き換えろ」という人たちがいる。

では、現実のありのままに叙した憲法を制定した後、彼らはどのような世界を築くために、どういう努力をする気なのか。ただ現状を肯定し、現状を追認してゆくことを「国是」に掲げた後、何をする気なのだろうか。

 

なお、この話題に関係では2年前に「理想と現実のはざま」と題して拙HPの「コラム 飛耳長目」に次のように記したことを思い出す。

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核拡散防止条約(NPT)再検討会議が決裂の報道に接して国際機関の機能不全を改めて思った。

情報不足を顧みずに言えば次のようなポイントが原因かと。

・全会一致は原則としてもオルタナティブへの可能性を担保するのが原則では。

・国連でいえば第2次世界大戦の置き土産「常任理事国の拒否権」が時代の変化に対応できず各種決定の足枷となっている。

国内の卑近な話題で言えば直近の次の拙詠草にもあるように憲法改正が話題となっている。

♬ ひたひたと足音聞こゆ改憲の数の揃うを報じるメディア (令和4年8月22日付け“やましん歌壇”掲載歌:佐藤幹夫選)

改憲を進めたい人たちの主な論点は「憲法が現実に合わなくなっている」らしいが憲法はあくまで理想、あるべきめざすべき姿を示すもので現実との間に生じる齟齬は法律やその他の手段で対応するものではないかという考えに立ちたいものだ。

権力を握ったものの常として保身のために憲法変えてきた海外の多くの事例を待つまでもない。

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