2022年6月27日

図書館で目に留り(書名に惹かれ)借りて読んでいます。
氏は臨済宗妙心寺派福聚寺第35世住職。
はじめて氏の著書に接しているが本著は東日本大震災の翌年の2012年4月から(*)およそ7年半東京新聞(および中日新聞、北陸中日新聞)に「うゐの奥山」としてほぼ月1回のペースで連載されている由。
  *全く関係ないが拙HPのコラム「飛耳長目」は震災のあった2011年3月30日 に「題:原発事故への対応」でスタートし現在も掲載中。
著書の「まえがきに代えて」の中で、
”なりゆき”という言葉はいい加減で定見のない在り方を批判的に言う場合にも使われるが、本来は逐一変化するプロセスも踏まえた正確な現状のことだ。生きるのにこれほど大切なものはないはずだが、常に更新する負担があまりに大きいため、諦めて「なりゆき」という言葉じたいを貶めることにしたのだろう。
と紹介されていてなるほどと得心。
心に残った箇所を二つほど引用してみる。
♪一つ目:栗の花(2014年7月)から
・・・禅の世界は、管見だが、喪失後の世界である。人は加齢と共にさまざまなものを失うが、禅の道場ではこれが若いうちから無理矢理奪われていく。情報、交友、便利な道具、などなど。そして失ったあとでも通用する新たな価値観に目覚めていくのである。梅雨の潤いのなかで、栗の花がしずかに咲いている。仮設住宅の暮らしが長びくなかで、県内ではそれに気づく人も多いことだろう。喪失したからこそ、やがて人は「よく見る」ようになる。まもなく「夏草や」の季節だが、喪失後の世界を「夢の跡」と見れば、ぼうぼうに伸びた夏草も狂おしいまでの命の躍動に見えるはずである。・・・
♪二つ目:喉仏の効用(2017年7月)から
かつて(4年前)持病について詠んだ短歌を大師匠阿部京子先生(3年前に他界)から”やましん歌壇”に掲載していただいた。
    ・一病とつき合いてはや半世紀遊行の門への錫杖とせむ
この3月、遊行の門を通過したのでこれからの錫杖は何になるのだろうという思いに至っている。
主治医からは「持病(機能性ディスペプシア:昔で言えば慢性胃炎)で死に至ることはまずない。あるとすれば肺炎でしょう(それも誤嚥による)」と聞いていたことからこの章「喉仏の効用から」が気になったところ。
・・・肺炎の菌は健康な人でも口の中に常在している。だからほとんどの肺炎の原因は、自分の口中の菌を食べ物と共に誤嚥し、それが気管から肺に入ってしまうことだ。なぜそんなことが起きるのかといえば、喉仏の周りの「喉頭挙上筋群」が衰え、筋肉が全体的に下がってしまうため、気管の蓋が閉まりにくくなるからだという。・・・
そこで、氏は喉仏の鍛え方3つを紹介している。
①シャキア・トレーニング
②嚥下おでこ体操
③顎持ち上げ体操
興味ある方は調べてみては如何でしょうか?