この論考で「無意味耐性」という表現、言葉を初めて知った。
氏は“「意味のない言葉を口にしても気にならない」人のことを「無意味耐性の高い人」”と規定して面白い論考になっている。 主な指摘を紹介する。
・先(8月6日)の広島での平和祈念式典で、菅首相がスピーチの一部を読み違えたことが報道された。「原爆」を「原発」、「広島」を「ひろまし」と読むなど7カ所。更に問題は核廃絶に向けた日本の立場を示す約120字を読み飛ばしたことである。そこには「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国」「『核兵器の無い世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要」などの文言が含まれていた。
・原稿が糊でくっついてはがれず、1枚飛ばしてしまっただけで、「完全に事務方のミス」という言い訳。・・・そこから知れるのは、首相がこのスピーチの草稿に事前に目を通さずに式典に臨んだらしいということである
・そのこと以上に私が当惑したのは、首相が意味をなさない文を平然と読み続けたということである。ふつうは起きないことだが文法的にかたちをなさないセンテンスを読むと、私たちは「気持ちが悪い」と感じる。しかし、首相はそこで立ち止まることをせず、意味をなさない文を平然と読み続けた。これはかなり深刻な問題だと私は思う。というのは、この事実から私たちは首相が「意味をなさない言葉を人前で堂々と話しても気にならない人だ」ということを知ることができるからである。
・「意味のない言葉を口にしても気にならない」人のことを私は「無意味耐性の高い人」というふうに呼んでいる。無意味な言葉を朗々と読み上げることができ、無意味な仕事に必死に汗をかくことができる人たち、それが「無意味耐性の高い人」である。これは現代日本ではある種の「社会的能力」として高く評価されている。
・上意下達組織において最も重んじられるのは「イエスマンシップ」であるが、これを考査するための最も簡単な方法は無意味なタスクを課すことである。・・・組織が上意下達的になればなるほど、「ブルシット・ジョブ(まったく無意味な仕事)」が増えるのはそのせいである。今、日本人は「無意味な言葉と無意味な仕事」という「おろし金」で日々すり減らされている。